南相馬へ~翌日~
翌日は小池原畑第一応急仮設の堀越さん宅をお訪ねしました。
堀越さんは小高在住のご年配の方です。
院主は原町第一小学校避難所以来の再会です。「もう一度会ってお話したいと」と人づてにお聞きしていたので、大変嬉しいご縁でした。
堀越さんとは、初めてお会いした後手紙を出した事をきっかけに親交が始まり、ある時は物資がない中で役所からのお知らせの裏紙に丁寧でお心のこもった手紙をくださったり、また、昨年5月に原町第一避難所を院守が訪問した際は、仮設に移られていたのですが、わざわざ避難所まで会いにきてくださったりのご縁です。
昨夏には、原町の美容室KIDさんからお借りした自転車でこの仮設をお訪ね致しました。
院守は夏以来の再会です。
震災の後、「こんな目に遭うくらいなら死んだ方がましだ」「何故自分だけ生き残ってしまったんだろう」 と悩んでおられたのですが、昨年秋ごろに「生かされたことが生きる意味だ」と受け取られ、ようやく前向きになって来たと言われました。最近ではノルディックウォーキングを始め、自然の中を歩き、毎日見知らぬ人5人と話すことを目標に掲げているそうです。「自分には信仰がないが、信仰をもっている人がうらやましい、避難所で話したくても話せなかった事を話したくて、あなたにもう一度会いたかった。」と話してくれました。長時間に亘って深い思いをお聞かせいただき、白熱する場面もありましたが、堀越さん、最後はとても良い笑顔になられ、必ずの再会を約束し固くハグをしてお別れしました。

その後、岩屋寺さんをお訪ねしました。泰寛師、お変わりなくお過ごしとのこと。
以前横浜においでくださった折には、いろいろお話しましたね。

岩屋寺さんの山門が震災復興のシンボルとして間もなく竣工するそうです。
欅の大変美しい山門です。

被害の大きかった南萱浜のお堂の隣が公園になっていました。

八津尾さんの鯉のぼり、これで?匹めです。

夜、警戒区域が解除された小高区に入りました。中心部は復興が進められていますが、
国道より海側は依然として手つかずです。





あの日のまま時が止まったかのようです。津波の恐ろしさを改めて実感しました。
萱浜のお堂で亡くなられた方々を哀悼と復興をお念じして、お勤め致しました。

原町に戻り、教師として仮設住宅で学習指導と仮設サロンボランティアに来ている院守友人の内田さんや原町第一小学校の避難所でご縁をいただいた今野さんや泰寛師と会食し、厳しい現状を鑑みいろいろなお話を致しました。