灌仏会(花まつり)と被災地復興を願う酒茶の会ご案内

☆灌仏会(花まつり)と被災地復興を願う酒茶の会ご案内☆
灌仏会(花まつり)は、お釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。
お釈迦さまのお誕生を一緒に心からお祝いしましょう。
法要後、被災地復興を願う酒茶の会を開催します。
今期の酒造りも終わる頃です、被災地のお酒をいただいて彼の地を応援しませんか?
当院でお酒と甘茶をご用意しますが、お酒や食物の持込みは大歓迎です。
特に精進コードや禁忌は設けません、いのちに感謝していただきましょう。
どうぞ気軽にご参加ください。
※今月の帰楽会は、灌仏会と兼ねての開催といたします。
【日時】2012年4月7日(土) 17時~
【場所】帰楽院(横浜市保土ヶ谷区岩井町64-2-1F) 地図はこちら
JR横須賀線・湘南新宿ライン保土ヶ谷駅(東口をでて大通りを右へお進みください)徒歩3分
【内容】お勤め(読経)・法話 酒茶会
☆参加費、持込みは任意、ご予約は不要です。
震災一年を迎えて~春のお彼岸と被災地支援バザー 帰楽市
3月10・11日、先週に引き続き南相馬を訪ねた後、
昨年の3月末被災地を初めて訪問した際にお世話になった、
宮城県岩沼市にある恵洪寺さんの東日本大震災犠牲者一周忌慰霊供養法要に出勤しました。
福島から相馬行のバス&昨年12月に再開した常磐線相馬-原ノ町の電車で原ノ町まで。


震災後、駅と駅の間に置き忘れられたかのように線路に留まっていた車両。
わずかな区間ではありますが、再開したことがうれしかったです。
今回は、復興ひまわり大作戦からご縁をいただいたMさんから、
「仮設住宅の生活も経験してみろ~」とのお誘いをいただき、仮設住宅に泊らせていただきました。
お邪魔した場所は、3月4日の一日バーでお世話になった寺内第一仮設住宅です。
寺内第一仮設は南相馬市で一番早い時期に建設された仮設だそうです。
台所回りや間取りなど、不便な所が多い住環境で、
「一度経験してみろ~」とのことで今回お邪魔しました。
キッチンは、一人暮らし用のミニキッチン、間取りががウナギの寝床になっており、部屋の仕切りはアコーディオンカーテンです。
「家族数人分の調理を行うには手狭だ~、奥の部屋からは手前の部屋を通らねばトイレに行けず、夜にトイレに行く際、手前で寝ているおばあちゃんを起こしてしまったり、壁が薄くて、お隣さんの声が聞こえたりとか、色々言い始めるとキリがないけど、私たちは早い時期に仮設に入れたんだから贅沢は言えないわ」と、話してくれました。
いくつかの仮設住宅にお訪ねしましたが、それぞれの住環境にかなりの違いを感じます。
津波で亡くなられた奥様のお仏前にお参りに八津尾さん宅にお邪魔しました・・・
雪が残る萱浜。


現在、お住まいの借り上げ住宅には立派な表札が。
「八津尾家お抱え書道家に書いてもらったんだよ」と 、表札の前で記念撮影。
八津尾さん、Mさん共に2年前にJAが撮影した航空写真を購入されたとのこと(無料ではないの所が残念)で、 それぞれ拝見しました。津波前のご自宅が撮影された貴重な写真です。
八津尾さん宅、Mさん宅とも広くてりっぱなお住まいで、アパート暮らししか経験のない私には驚くばかりです。
そんな暮しから小さな仮設住宅住まいへと生活環境が一変したことで、 さまざまなストレスを抱えての現在の暮しなのだと、お写真を拝見してより一層身にしみました・・・
写真をしみじみ見ながら「ここが納屋で、母屋で、ここにはばあちゃんが住み、離れには我々が住んでいたんだ~」お花が好きなMさん宅は、素敵な花壇や、海から広い集めた石で敷き詰めた庭園や畑。「これから家の裏に植えたたらの芽を収穫できるころだったのに…」
などなど震災前のお暮しをお聞かせいただきました。
「はぁ、でも津波でぜーんぶなくなってしまった・・・」
目を潤ませながらお話しする90歳のおばあちゃん。
「全部なくなってなんかないよ、命があるじゃないですか。仏様が救ってくださった命」
やっとの思いで返す言葉に自分の無力さを感じます・・・
3月10日はMさんのご主人でおばあちゃんの息子さんの命日です。
「そうだそうだ、亡くなった息子やご先祖様が仏となって救ってくださったんだね。」
「家もなにもかも流されこんな不自由な暮らしになってしまったけど、命を救ってくださったんだ感謝だ感謝だ」と 目の前のお仏壇の前でご一緒に合掌いたしました。
慣れない台所で手早く、とてもおいしい地元の料理を作ってくださりました。
仮設住宅近くのスーパーで買い出しの際に、津波で流された浪江町の酒造会社鈴木酒造が山形県の酒蔵に移り、
造った新酒をで 発見!
鈴木酒造は、数年前に院主と相馬を旅行した際に立ち寄った思い出深い酒蔵さんです。
3人で乾杯、美味しい手料理を御馳走になりながらご家族のお話しなどなどでワイワイ、あっという間に夜が更けました。

翌日11日、午前Mさんのご主人の7回忌法要に参列させていただきました。お寺でのご法要後、
萱浜のお墓にお参りに。墓石は津波で流され欠けてしまったが、無事だったとのこと。
帰りがけに「次はいつ来るの」の言葉がうれしくて「お花見かな~」とお別れしました。
その後、岩沼市臨済宗妙心寺派 恵洪寺へ移動。
14時46分東日本大震災犠牲者一周忌慰霊供養法要に出勤しました。
この度、篤志の方々から供養塔をご寄進いただいたとのことで、供養塔の前にて法要が執り行われました。

恵洪寺さんのお檀家様も数名震災の犠牲になり、
そのご家族やご近所の方々など大勢の方々がお参りになられました。

震災から1年、まだまだ先が見えない状態が続く中、精一杯お暮しの皆さんから
今回も温かい力をたくさん頂戴いたしました。
そこから横浜に帰り、引き続き当院での東日本大震災一周忌法要が勤まりました。
お寒い中、多くのお参りをいただきありがとうございました!

この日は新たにお近くの方がお参りくださいました。すごく嬉しいご縁です!
喜んでいると、お東の朋友同行も来てくれました。s師ありがとう!

皆さんで深く哀悼を念じお勤めしました。
ご法話は院守でした・・・が、写真撮り忘れましたm(__)m
被災地の現状を絡めたご法話でしたが、すこし現地での緊張が残っていましたね。

被災地の復興をお念じし、様々な話題で皆さん大いに意気があがりました。
後ろのつい立と白洲はMさんの労作です。
親鸞聖人が越後へ流される様子を白洲に、ついたて右には教行信証の総序
「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」が記され、
左には敦煌第249窟の天女壁画と光明が綿を雲海に見立てて組み合わされています。
すごいです~!Mさん本当にありがとうございました。

南相馬の和さんが、再度べんけいとホッキ貝炊き込みご飯のお握りをくださいました。

おいしい!顔が赤い、なぜでしょう?
3月20日はお彼岸法要が勤まりました。
良いお天気に恵まれ、まずは被災地支援バザーから。

この日も初めてのご近所さんがお参りくださいました!
超(っていい響きです)嬉しい!ありがたいお出遇いです!!

またまた院守さんのご法話です。
金子大栄先生の「念仏は自我崩壊の響きである」がテーマでした。
お疲れ様でした。その後は茶話会、バザーを続け春彼岸会を終えました。

南無阿弥陀仏
いつもありがとうございます。
春季彼岸会、被災地支援バザー帰楽市開催します!
南相馬で1日Bar + お坊さん 開催報告

山田さんたちは、閉店後午前3時に横浜を出発し、約6時間かけて南相馬に来たそうです。
本当にお疲れ様です!
会場の準備をして。。。南相馬一日Bar+お坊さん Open!

Bar HALEKULANI 有田王城氏、 カサブランカ片野酒販販売 片野靖雄氏、
Bar&Grill seckle 内村健太郎氏 Bar Noble 山田高史氏 齊藤崇真氏 原常晃氏
皆さん颯爽とした立ち姿です。
昼の部は道の駅での開催ですので、三種のノンアルコールカクテルがふるまわれました。
詳細はコチラhttp://www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog/details.php?bid=407


原町観光協会や道の駅、 南相馬bar wizard草野さんご夫妻、「だいこんや」須藤さん始め
(社)日本バーテンダー協会常磐支部の方々の周知のおかげで大盛況です。
また、アサヒビール横浜統括支社の柴村裕一さんが、お休みにも関わらず
横浜から個人の思いを届けに来てくださいました。
懇志を届け、しばし滞在の後のトンボ返り、お疲れ様です。
本当にありがとうございました。
坊さんたちもお運びにご案内、傾聴に励みました。

山田さんが優勝した世界大会の様子

大会出場時同行の必勝寄せ書き

院主と大会出発直前法務で横浜に来た岩屋寺さんも寄せ書きしました。

当院の同志も大阪から駆け付けてくれました。
内田真理さん、遠路ありがとうございました!

「こんなハンサム見たことない、カクテルも美味しい!寿命が延びたわ」と、
道の駅に隣接する仮設にお住まいのおばあちゃん。
「記念に写して~」 「写真は大きくして頂戴ね」とのご要望、
「はい」、翌週の10日、A4サイズに拡大した記念写真お届けしました。

地元名物 松永乳業のアイスまんじゅうで乾杯してお昼の部終了です。
夏はうかうかしてると溶けて落ちてしまうそうです[先の「だいこんや」須藤氏談]。
中の餡がアイスとマッチして美味しい。

休む間もなく夜の部へ向けて移動です。
夜はいよいよ世界一のカクテルがふるまわれます。アルコールも全開バリバリです!
場所は約80戸ある、鹿島区寺内第一仮設住宅集会所です。




坊さんたちは一足先に到着、各戸にイベントのお知らせをしました。
山田さんの営むBar Nobleがある、横浜吉田町名店街会や
吉田町商店街さんなどが支援物資を届けたいとのことで 、
事前に自治会長さんに必要な物資を聞いたところ、
「地場の野菜が安全なのは聞いているけど、やっぱり怖い」
「この季節は葉物が食べたいと皆おもっているよ」とのことでした。
そこで、横浜市栄区の矢島農園さんで野菜を手配し、ご挨拶代わりに配りました。

「あ~横浜のほうれんそうか~葉物が食べたかったんだ~、新しくてうまそうだね」
と、皆さん喜ばれました。

読売新聞の取材も入って、さあ夜の部の始まりです。
新聞掲載はコチラhttp://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/news/etc/20120305-OYT8T00639.htm

この仮設にお住まいで、院守と去年のひまわりイベントやイモ掘りを通じて懇意になった
和(なごみ)さんが、 郷土料理「べんけい(大根と芋がらに鷹の爪を加えて炒め煮にし、
醤油と酢、砂糖などで味付けしたもの)」とホッキ貝の炊き込みご飯のおにぎりを差し入れしてくれました。
スゴく美味しい!

幾度も繰り返される乾杯!

山田さんとしっとり乾杯する方も。。。。

それにしても皆さんお強いです。ウォッカがガッツリ入った「スクリュードライバー」をグイグイ!
震災前は漁業を営んでいたそうですが、豪放闊達な方々でした。
院守母が作陶した湯飲みや茶碗を差し入れしたら、
「全部流されちゃったからね~ありがたいよ」と、喜んでくださいました。
特にフリル付きのお皿が人気。

皆さん、すいすい飲んでいます。ボルテージも上がる上がる!
大盛況です。 エクストラバガンザです!!

優勝作品の「グレート・サンライズ」で乾杯!
院主はまだハンドルキーパーですから形だけ(T_T)(泣)
八津尾さんは昼夜ともに、岩屋寺の星見師、荒木師、同慶寺の田中師
の大徳方もお寺のお勤め後参加してくださいました。

アルコールが入ると傾聴の角度も変わります。
震災からまもなく一年を迎えるこの時期に、お酒のイベントに協賛させていただいたおかげで、
皆さんから色々なお話をうかがい、話し合うことができました。
覚如上人の『口伝鈔』 愛別離苦の教誘の、「酒はこれ忘憂の名あり、これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし」 の一節を改めて深く思い返しました。


イベント終了後、お疲れさん会がBar Wizardさんで開かれました。
興が乗ると山田さんはじめ全てのバーテンダーさんがカウンターに入り、
超豪華共演となりました。これには地元のお客さんも大喜びです。
院主はやはり水。。ではなく、ほどほどに×しっかりと○忘憂をいただきました。

翌日は雪が降る中、昨年初めてお参りした萱浜の安否掲示板跡でお勤めしました。
現在は小さなお堂が建ち、あの時の土鍋が変わらず香炉となり、後に発見された仏像が安置されています。 折り鶴や小さいお子さんの写真もあり、万感胸に迫りました。
往時を昨日の事の様に思い、心から哀悼を念じお勤めしました。 合掌 院主
石巻へ その3
お坊さんたちによる、開成仮設住宅での傾聴カフェのお手伝いです。
回を重ねるごとに認知度が上がり、開店前から15人くらいおいでになりました。
現地のお坊さんたちのハートフルで真摯な活動のたまものですね。素晴らしい!
主催のガンジーさんやコーさんと「やあやあ、久しぶり」と挨拶して
Café de Monk オープン!

この仮設は石巻市最大なので、カフェも毎回違う集会所で開催されるんですが、
離れた棟からも大勢いらっしゃいます。前にお話しした方とも再会しました。
震災からまもなく一年。
ようやく当時の出来事を話せるようになった方は、
涙ぐみながら生死の境を分けた、避難の状況を話してくれました。
地震のあと、津波が来るまで40分ぐらいあったそうですが、
多くの人が直ぐには避難せずに家の片づけ等をしていたそうで、
結果、大惨事につながったそうです。
「津波の事は知ってたけど、あんなに酷いとは思わなかった」
「避難訓練とは大違いだ」
いま生きていることに感謝はしているけど、亡くなった近隣のかたが、
夜な夜な枕元にきて話しかけるので、ずっと不眠になやまされているそうです。
通り一遍の「そんなことはないですよ、仏教では云々・・・」では解決などできません。
お茶飲みながら一緒に悩みます。
その中で真言宗のお坊さんが、無料配布の腕輪念誦にお加持(念を入れ)をして渡すと
スゴく喜ばれ、たちどころに黒山の人だかりです。
私にもお加持のリクエストがありました(^_^;)
が、方便一番!まねごとしながらウパーヤ勤鈔@お他力となり、
諄々とお話ししました。
直接的ツールを有する自力門に比べて、他力門はなかなか大変だぁ(^_^;)


こちらは津波で家を失った方ですが、家に被害の無かった方と、
震災後の生活格差で地域の絆が壊れ、苦しまれたそうです。
マスコミ報道では助け合いの美談ばかりで語られないことですが、
配給や義捐金の配布をめぐって差別を受け、住み慣れた地域を離れることになったそうです。
仮設は不自由だけど、みんなが同じ思いをしてるから安心できる。
地域も違うけど仲良くなったお友達もいるからうれしい、と話してくれました。
「昨日まで仲良く暮らしてたのにさ、トイレも炊飯器の話もさ、とんでもないっちゃ!な、和尚さん!!」と言えば、
「そりゃ非道い!とんでもないよね!!」と同音で私。
「なんでそんなになるかね、和尚さん?」
「異常事態で身を守るために必死だったんだよ、私たちゃ条件がそろえば何をしでかすか分からないからね」
「そうか、そうだよね。大声で悪口言ってすこし楽になったよ。また会いましょう」
はーい!また会いましょう、お茶飲んでお話しましょう( ^^) _U~~
