石巻へ その2
前回と同じ仮設の別棟での傾聴活動です。
現地はすっかり寒くなっていて、炭起こしからはじめました。
仮設は薄い鋼板なので室内は非常に冷たいです。
急ピッチで木枠を組んで断熱材を入れる作業がすすんでいましたが、
見た限り、まだ30%位の進捗でした。
皆さん「いやぁ~さむいわ。間に合うのかね?」と不安そうに話していました。
それにしても、炭起こしの煙は逃げた方にやってきます。
何の罰ゲームかと思いながら、咳き込みつつの火起こし。

外は寒いので集会所でのお話がメインです。
カフェの趣旨板も室内に掛けられました。
若いお母さんと子供たちが多く、とても賑やかです。

見えにくいのですが、このお母さんの後ろには8ヵ月の乳児がオンブされています。
産院に入院中震災にあい、直後に生まれた子です。
出産は不思議なご縁がととのって無事でしたが、
全てのインフラが寸断され、水やミルク、食料が限られる中、助け合って救援をまったそうです。
産院には近くに住む方も避難していたのですが、食料を分配するときに
小中学生の子供たちが、このお母さんに「あかちゃんのお乳のために、ぼくらのご飯たべて」と
いって分けてくれたそうです。
あなたたちも子供だから要らないよといっても、
「ぼくらのほうがこの子より大きいから」といって受け取らなかったのよ。
あたし、ほんと涙がでてね~と、過日を振り返って涙ぐんでいらっしゃいました。

左は別地域の仮設に住むお友達、お隣二人は兄弟です。

仮設暮らしがはじまって、うつになったり、部屋の外に出ることができない方がいらっしゃいます。
お声掛けをしても、在宅の気配はあるのに戸を閉ざして答えがないお部屋がいくつかありました。
至急に考えなければならない問題で、サポートの方も尽力されていますが、
即効策がありません。
スタッフのお一人が「地道にお声掛けを繰り返し続けて行きます」とおっしゃっていました。
わたしも微力ながら合力いたします。
お会いできた方とは、その悲嘆に静かに寄り添うことが中心でしたが、
「がんばんなきゃ!がんばれっていって、和尚さん」いう言葉も多く聞きました。
皆さんの心も少しずつ変わってきています。
微細な状況判断は欠かせませんが、
必ずしも「がんばれ!」がタブーではないことを実感しました。

主催のガンジーさん、コーさんは、月3のペースで各地を回っています。すごい!
はるばる九州からおいでのお坊さん、木村しゃん・藤本しゃん、
お同行のこーちゃん、たけちゃん、タムちゃんお疲れ様でした。

ガンジーさん曰く、
「だんだん寒くなってボランティアの数も減ってきた。これからが坊主の底力だな!」
同じ思いです!ともにがんばりましょう! 合掌
帰楽会ペルシャ音楽の夕べ開催しました
東日本大震災の追悼法要として、セタールとタンブールの演奏会を開催いたしました。
大変の多くの方にお参りいただき、ありがとうございました。

院守読経の後、北川さんに演奏いただきました。

震災の追悼奏楽として、イランの古典で弔意を表す詩歌を演奏いただきました。

演奏終了後、北川さんを囲んでの茶(※酒)話会。
楽器のお話しを始め、イランの宗教のひとつである、
ゾロアスター教のお話しや、ゾロアスター教と浄土信仰についてなど、
さまざまなお話しで盛り上がりあっという間のひと時でした。
また、今回演奏いただいた楽曲は、すべて本邦初披露という大変貴重なものでした。
帰楽院で2度目となる北川さんの演奏会でしたが、洗練と円熟の演奏と歌声で、
一座建立の追悼法要がつとまりました。
北川さん、お参りくださった皆さん誠にありがとうございました。 合掌
※今回は福島の「写楽」でした。