多賀城市へ行ってきました。
この度は物資のお届けと遺体安置所でのお勤め、避難所での傾聴の為にうかがいました。

仙台駅でレンタカーをかりて各僧侶の志を積み込みました。

国道45号仙塩街道を東へ仙台港北インターを抜けて多賀城市へ向かいます。

仙台市はほぼ平常を取り戻していましたが、多賀城市へ入ると徐々に津波の爪痕が見えてきます。

多賀城市役所 市を流れる砂押川の南側で被害が大きく、北側に当るこの辺りは浸水がなかったそうです。

多賀城市総務課の福田さん(左)に物資をお渡ししました。
土のう袋・クレペリン手袋・使い捨て用おわん・インスタント味噌汁・だし(顆粒)・みそ等です。
今回同行できなかった僧侶も志を託してくれました。T・T師!ありがとう。確かにお心を届けましたよ。
福田さんには万事迅速かつ積極的に諸般の便宜を図っていただきました。誠にありがとうございました。

多賀城市近郊で最も被害の大きな場所の一つ、宮城郡七ヶ浜へとむかいました。
菖蒲田浜に入ると厳しい惨状が見えてきます。

一階部分は完全に破壊されています。

小さな岬に挟まれた谷戸は特に大きな津波に襲われました。

寸断された県道58号。

吉田浜の港。船が持ちあげられています。

高山海水浴場。美しい砂浜にコンテナーが打ち上げられていました。ここから菖蒲田浜方面にも多数点在しています。

海岸に石を積んで線香と花が手向けられていました。
手を合わせ命を落とされた方々に深く哀悼をお念じ申し上げました。

翩翻とひるがえる国旗に弔意と復興への意志を感じました。

利府町グランディ21。ご遺体の安置所です。
多賀城市役所の福田さんが連絡して下さったので受付も問題なく通れました。福田さん本当にありがとうございました。
当初、安置所外より読経とのことでしたが、当日は警察官が同行し内部でお勤めがかないました。
広いホール内には、ご遺体の棺が数名とDNAを記録後のご遺骨が数十名安置されています。身元不明の為に、各々が番号で振り分けられていたことが誠に悲しくやるせなく思われました。しばし無言で思いを巡らせ、各々の衣を着付、威儀を正して一心にお勤めを致しました。

山王地区公民館に伺い、お菓子をお渡ししながらゆっくりお話を聞かせていただきました。
皆さん其々厳しいご縁に遭われています。
ある方は、震災当初は生きてるだけで、命があるだけで本当に良かったと喜べた。
だけど二ヶ月が過ぎても一向に変わらない現状に、
これからの事を考えると途方に暮れてしまう。しかしもっと大きな被害を受けた方のことを思うと、自分たちは幸せだと話しておられました。
小職が皆さんお一人お一人が大変な思いをなさっておられ、これは比べようがないことですよ。と申しますと、本当はそう思っていたけど言えなかったといって涙をこぼしておられました。
我慢しすぎて辛かった。話ができてよかったと仰られました。
原発事故の影響を受けた南相馬市の避難所と異なる点は、多くの子供たちがいることです。小学生や中学生が主ですが、学校までは公的に手配されたタクシーで通っているようです。
ちょうど下校時にあたったので、少し一緒に遊びました。
みんな不安な思いもしているでしょうが、力いっぱい元気に命を輝かせています。
プリキュアや仮面ライダー等アニメのキャラクターのお菓子を箱にばらして、
好きなのを選んでね、と言うと、歓声を上げながら夢中で選び喜んでくれました。

メールを下さった「多賀城市民」様ご夫妻とお会いすることができました。
こちらの都合でゆっくりお話しできず申し訳ありませんでした。
短い間でしたが大変嬉しいひと時を過ごさせていただきました。誠にありがとうございました。

善き僧伽(サンガ)の仲間たち。
宿に向う途中、一日を振りかえって思いが高まりうつむくS・J師。
普段は英明で敏腕な仕事振りの師の悲嘆に、慰め、励ますS・S師とW・T師。みなさん大切なお仲間です。
いつもありがとうございます。お疲れさまでした。
これからもよろしくお願いします。
仏縁に導かれ多賀城市に参らせて頂いて、改めて被災現場では其々に事情が異なることを実感いたしました。
これからもニーズにあわせた息のながい支援を継続して参ります。 合掌