~震災より百か日~南相馬 復興ひまわり大作戦
「復興ひまわり大作戦」と名付けられたこのイベントは、津波で流された畑にひまわりを植え、町の復興シンボルとし盛り上げていこうというイベントです。
イベントの詳細は、河北新報、6月14日版 6月19日版を参照してください。

事前に申し込みがあったのは約120名とのことでしたが、
当日は220名を超える方が参加されました。
東京や、九州からお越しの方もいましたが、参加者の八割は原町など地元の方々です。
地元の少年野球団10数名が練習前にユニホーム姿で、また、親子連れでの参加など、
思い思いに我が町の復興への強い意気込みをもってのぞまれています。


美人の受付嬢とは程遠いですが…。

震災から百か日にあたる当日、開会式は、黙祷から始められました。
私も心静かに追悼をお念じ申し上げました。
挨拶をされる八津尾さん。

7ヘクタール(東京ドームの約1.5倍)の畑。この場所の放射線の数値は安全で問題なく、
※作付は禁止されていません。約45センチ間隔で2粒づつ種を撒きます。
ひまわりのほか、とうもろこしや枝豆の種まきも行われました。
※●野菜・果樹・花き等の作付けについて
稲については、4月14日、南相馬市地域水田農業推進協議会の方針として23年度は、市内全域で稲の作付を行わない方針で、国・県と協議をすることとしました。
また、4月22日に、「避難区域」「計画的避難区域」及び「緊急時避難準備区域」おいては、23年産の稲の作付けを控えるよう国から指示がありましたが、稲以外の品目(転作作物を含む)については作付制限はされておりません。
したがって、野菜、花き等の作付け、果樹の管理作業を行っても差し支えありません。
~南相馬市HPより平成23年6月18日 現在~

原町第一小学校の避難所でご縁をいただいた時田さん達と一緒に種まきをしました。「久々に身体を動かした~」と時田さん。
1人でも多くの方に南相馬を訪れていただき、町を盛り上げたいと熱く語る八津尾さん。
ひまわりが咲くころ、イベントを企画されるとのこと、再訪させていただくことを楽しみにしています。
帰楽会(きらくえ)のご案内。
亡くなられた方への追悼と、被災地の一日も早い復興を心よりお念じ申し上げ、
毎月11日に院守と院主でお勤めをしておりますが、
幾人かの方より、一緒に礼拝したいとのご希望をいただきましたので、
今月より11日に『帰楽会(きらくえ)』と名付けた定例法会を開きます。
震災復興の願いはもとより、
仏さまに手をあわせる中で、自分自身と向き合う時間をお過ごしください。
お寺の法務や行事で変更になる場合もございますが、
毎月11日の19:30よりのお勤めです。
ご予約は不要、参加費無料です。どなた様もご自由にお参り下さい。
読経後、茶話会をしますのでお時間の有る方はご一緒しましょう。
今月の帰楽会は
6月11日土曜日 19:30より
お勤めは20分位、あとは茶話会です。
参加費は無料です。
仏さまに手をあわせて、ざっくばらんにお話しましょう。
恩師がお参りくださいました。
あいにく二人とも仕事と法務で日中は都合がつかず、母校の応援には参加できませんでしたが、野球終了後(残念ながら野球は負けたとのこと)に、神宮からご夫妻でお寺にお参りに来てくださいました。声を嗄らしての応援でお疲れにもかかわらず、正信偈を力強くお勤めいただきました。先生、誠にありがとうございました
教授の専門はインド仏教、チベット仏教です。院守は学部ゼミの指導教授(卒論は輪廻について)として、院主は学部のチベット語(出来の悪い生徒でしたが…チベット仏教、特に初期密教ニンマ派に魅かれて学んでいました。)から大学院まで(校内外で公私ともに近しく☆)お世話になった共通の恩師です。『二人で力を合わせてがんばっていきなさい』と励ましのお言葉をいただいたことを有難く、嬉しくお聞かせをいただいた夕べでした。

多賀城市へ行ってきました。
この度は物資のお届けと遺体安置所でのお勤め、避難所での傾聴の為にうかがいました。

仙台駅でレンタカーをかりて各僧侶の志を積み込みました。

国道45号仙塩街道を東へ仙台港北インターを抜けて多賀城市へ向かいます。

仙台市はほぼ平常を取り戻していましたが、多賀城市へ入ると徐々に津波の爪痕が見えてきます。

多賀城市役所 市を流れる砂押川の南側で被害が大きく、北側に当るこの辺りは浸水がなかったそうです。

多賀城市総務課の福田さん(左)に物資をお渡ししました。
土のう袋・クレペリン手袋・使い捨て用おわん・インスタント味噌汁・だし(顆粒)・みそ等です。
今回同行できなかった僧侶も志を託してくれました。T・T師!ありがとう。確かにお心を届けましたよ。
福田さんには万事迅速かつ積極的に諸般の便宜を図っていただきました。誠にありがとうございました。

多賀城市近郊で最も被害の大きな場所の一つ、宮城郡七ヶ浜へとむかいました。
菖蒲田浜に入ると厳しい惨状が見えてきます。

一階部分は完全に破壊されています。

小さな岬に挟まれた谷戸は特に大きな津波に襲われました。

寸断された県道58号。

吉田浜の港。船が持ちあげられています。

高山海水浴場。美しい砂浜にコンテナーが打ち上げられていました。ここから菖蒲田浜方面にも多数点在しています。

海岸に石を積んで線香と花が手向けられていました。
手を合わせ命を落とされた方々に深く哀悼をお念じ申し上げました。

翩翻とひるがえる国旗に弔意と復興への意志を感じました。

利府町グランディ21。ご遺体の安置所です。
多賀城市役所の福田さんが連絡して下さったので受付も問題なく通れました。福田さん本当にありがとうございました。
当初、安置所外より読経とのことでしたが、当日は警察官が同行し内部でお勤めがかないました。
広いホール内には、ご遺体の棺が数名とDNAを記録後のご遺骨が数十名安置されています。身元不明の為に、各々が番号で振り分けられていたことが誠に悲しくやるせなく思われました。しばし無言で思いを巡らせ、各々の衣を着付、威儀を正して一心にお勤めを致しました。

山王地区公民館に伺い、お菓子をお渡ししながらゆっくりお話を聞かせていただきました。
皆さん其々厳しいご縁に遭われています。
ある方は、震災当初は生きてるだけで、命があるだけで本当に良かったと喜べた。
だけど二ヶ月が過ぎても一向に変わらない現状に、
これからの事を考えると途方に暮れてしまう。しかしもっと大きな被害を受けた方のことを思うと、自分たちは幸せだと話しておられました。
小職が皆さんお一人お一人が大変な思いをなさっておられ、これは比べようがないことですよ。と申しますと、本当はそう思っていたけど言えなかったといって涙をこぼしておられました。
我慢しすぎて辛かった。話ができてよかったと仰られました。
原発事故の影響を受けた南相馬市の避難所と異なる点は、多くの子供たちがいることです。小学生や中学生が主ですが、学校までは公的に手配されたタクシーで通っているようです。
ちょうど下校時にあたったので、少し一緒に遊びました。
みんな不安な思いもしているでしょうが、力いっぱい元気に命を輝かせています。
プリキュアや仮面ライダー等アニメのキャラクターのお菓子を箱にばらして、
好きなのを選んでね、と言うと、歓声を上げながら夢中で選び喜んでくれました。

メールを下さった「多賀城市民」様ご夫妻とお会いすることができました。
こちらの都合でゆっくりお話しできず申し訳ありませんでした。
短い間でしたが大変嬉しいひと時を過ごさせていただきました。誠にありがとうございました。

善き僧伽(サンガ)の仲間たち。
宿に向う途中、一日を振りかえって思いが高まりうつむくS・J師。
普段は英明で敏腕な仕事振りの師の悲嘆に、慰め、励ますS・S師とW・T師。みなさん大切なお仲間です。
いつもありがとうございます。お疲れさまでした。
これからもよろしくお願いします。
仏縁に導かれ多賀城市に参らせて頂いて、改めて被災現場では其々に事情が異なることを実感いたしました。
これからもニーズにあわせた息のながい支援を継続して参ります。 合掌