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わたしたちにできること4 ~南相馬市再訪~

2011/05/12
4月30日より5月3日まで南相馬市へ再訪いたしました。

前回ご縁をいただいた方よりご要望のあったお品をお持ちすることと、
お話をゆっくりと傾聴させていただくことを考えてうかがいました。

復旧した宅配便で大きな物資等はで先に送り、実際の移動は新幹線と路線バス(福島駅→相馬市)を利用して参りました。また、ゆっくり傾聴させていただく為に皆様と寝食(自身の飲食品は持って参りました)を共にして、原町第一小学校の避難所に2泊いたしました。

避難所には警戒区域に指定された※南相馬市小高区の方々が多く、一時帰宅の日程も決まらず(5月3日現在)、先が見えない状況下で100名を超える方々が暮らされていました。

※南相馬市小高区は福島第一原子力発電所の半径20km圏内で警戒区域に設定され、緊急事態応急対策に従事する者以外の者に対して、市長が一時的な立ち入りを認める場合を除き、当該区域への立ち入りを禁止し、又は当該区域からの退去を命じられている地区です。(5月3日現在)


避難所での共同生活は厳しく熟睡もできないなど、さまざまなストレスから頭痛や便秘などに悩まされている方が多いとお聞きしました。その様な状況であるにも関わらず、皆様温かく受入れて下さり、いろいろとお話しをお聞かせいただくご縁にめぐまれました。


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相馬市から南相馬市まで休日で公共交通機関がない中、前回ご縁をいただいた今野さんが迎えに来てくださいました。また、帰路も相馬市までお送りいただき大変お世話になりました。今野さん本当にありがとうございました。


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この度はお茶などをいただきながら、中東のお茶カルカデ(ハイビスカスティー)や、ヘルバ(フェネグリークのミルクティ)、ドライフルーツなどを持参し、皆様とゆったりとした時間をご一緒させていただきました。


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消灯時間(9時)までの夕食後のひととき。

避難所は、前回訪問させていただいた時から比べると物資等の不足はほぼないとのことです。お食事は、朝食が菓子パンに牛乳、昼食や夕食はお弁当にお味噌汁などで、他所から炊き出しの方がおいでになる日は、炊き出しのお料理が追加でふるまわれていました。


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この日の夕食は、杉良太郎さんと伍代夏子さんが避難所訪問時に差し入れされた豚肉の角煮ラーメンとお弁当、そして新潟から炊き出しにいらした方のクリームシチューにご飯でした。


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珍しいチェチェン料理の炊き出し 小麦を練ったものに、すりおろしニンニクがかかったスープ


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前回ご縁をいただきました八津尾さんに再会いたしました。
お電話でご連絡した際、河北新報より取材受けるため、畑に向かわれているとのことでした。
取材後に避難所まで迎えに来てくださり、避難所からほど近いご遺骨が納められている菩提寺様へお参りさせていただいた後、一緒に植えさせていただいた復興のシンボルのジャガイモ畑を再訪いたしました。
河北新報社の記事が本日(5月12日)掲載されたとお電話でご連絡をいただきました。

不思議なことに、津波で塩水が被った畑のジャガイモの方が通常より生育状態がよいとのことでした。
ジャガイモがしっかりと芽を出し順調に成長しているのをみて、自然の不思議と生命力の強さを真向きに実感しました。


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南相馬市原町区南萱浜にある伝言板&応援メッセージの裏に掲げられたた鯉のぼり。
鯉のぼりにも熱い応援の言葉が記されています。

消防団の方々や自衛隊の方々が必死に捜索活動を続けておられましたが、
依然21名の方々の安否が確認できないとのことでした。


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津波で流されて泥まみれになった木彫りの仏様。


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自衛隊の方々に丁寧に洗っていただきましたら、尊く優しい仏様のお姿が顕れました。
行方不明の21名の方々がみつかりますよう、心よりお念じ申し上げました。


わずか2泊ではありますが、避難所の皆様と生活させていただいた中で痛感させられたことは、各々がプライベートな空間も時間もなく、先の見えない生活を送られていることの厳しさと、それに対する自身の無力さです。避難所の方々が一刻も早く、それぞれの生活に戻る日が迎えられることを心から強く念じずにはいられません。
これからも微力ながら寄り添い歩ませていただきたく存じます。

この度もありがたいご縁をいただき、避難所の方々には大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。

「お世話になりました。またネ。」と申したら、「これが最後じゃないでしょう?」「また来てね」のお言葉がうれしく、何より励みになりました。「もちろん!」また近いうちにおうかがいします。            



08:46 東日本大震災関連 | コメント(2) | トラックバック(0)

多賀城市の現状をお知らせいただきました。

2011/05/09
三月末に宮城県仙台市はじめ多賀城市等の被災地に参らせていただいた際のご報告『私たちにできること2』の記事にコメントをいただきました、ハンドルネーム「多賀城市民」さまより5月3日現在の状況をお知らせいただきました。

貴重な現地の情報を皆様にお伝えしたいと申し出たところ、ご快諾いただきましたので以下にご紹介いたします。



(中略)…
現在、多賀城市内で避難しておられる方は1000人程度です。避難所は3ヵ所です。
みなさん、仮設住宅を待ち望んでおられますが、今日(5月3日)、第一陣の入居とな
りました。45戸です。

今後、来月上旬までに299戸の仮設住宅が完成する予定です。
仮設住宅への申込み件数が334件ということですので、建設戸数があと少し上積みさ
れれば希望者全員が入居できるところまできております。
全国の方々のご支援の賜物と、喜んでおります。

ライフラインはほぼ復旧済みです。
津波で浸水したお宅の片付けが進み、街が次第にきれいになってきています。
市役所が土日も休まずに窓口を開いていたのが平日だけの受付になったり、お店の営
業時間が延びるとともに商品が豊富になったり、鉄道が通常ダイヤで運行されたり、
私たちの生活はほぼ平常に戻っていると感じられます。

(反面、いわゆる「災害ゴミ」が大変です。集積所が東北本線北側の公園内などにあ
り、野球場や駐車場を埋め尽くす大量のゴミが置かれています。また災害ゴミの運搬
車が街中を走り回っていますので、外出時にはマスクが必需品です。)

ところで、市役所の仕事に余裕が出てきたのか、発信する情報がきめ細かくなってき
ました。
多賀城市のWebサイトに、必要な物が具体的に、必要度のランクも示して掲載される
ようになりました。従来は大雑把にしか書かれていなかったのでミスマッチが起きた
こともありました(避難所に、誰も持っていかない衣類が何箱も置かれていたのを見
たりしました)が、改善されています。
もしよろしければ、http://www.city.tagajo.miyagi.jp/saigai/bussi.html
をご覧いただければと思います。

私の住む町内でも仮設住宅が建設中でして、まもなく完成します。
町内会の仲間が百人単位で増えることになります。
私達「先住民」としては、新しい仲間に安心して住んでもらえる街にしたいものだと
考えております。(中略)…

わが家では「長野県塩尻市」の名が入った給水袋(ビニール製で背負える形)を大事
に保存しております。
3月中の断水の時には、同市のほか、広島県や山形県からも給水支援がに来てくれた
のでした。
また、都市ガスを使うたびに、それが新潟からパイプで送られていることを意識して
おります(仙台港近くのガス工場が大きく壊れてしまったため)。
ゴミ集積所には、「奈良市」と書かれたコンテナが置かれています。
駅前にある仮設のお風呂は、はるばる沖縄から来られた自衛隊の方々が運営していま
す。
連休中には、ボランティアさんが格段に多く来られました。
このほかにも到底枚挙しつくせないご支援を全国からいただいています。
多賀城市民の一人として、心から感謝しております。



多賀城市民さま、現地からの貴重な情報をお伝えいただきありがとうございます。

多賀城市民さまからは、全国から様々な支援をいただいていることに対して、
何よりも深い感謝の気持ちをお伝えしたいとの申し出をいただきました。
ここに重ねてお伝えいたします。

文中にご紹介くださった、多賀城市役所のWebサイトには早くから必要な物資が掲載されるなど支援の要望がわかりやすく記載されていたので、宮城から戻った後、当院も早速大型ブルーシート10枚等を送らせていただきました。
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/saigai/sa-kihukin_kagyou.pdf



いのちに生かされて生きる同朋同行として、
はなれていてもわたしたちの心はいつもともにあります。

これからも一緒に歩ませていただきたいと思います。   合掌        院主&院守






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