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わたしたちにできること3

2011/04/11
4月7日と8日に南相馬市の避難所へ物資を届けに行ってまいりました。
南相馬市は東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射性物質の拡散により設けられた20km圏の※避難指示と30km圏の※屋内退避の二つの地域に分断されている場所です。市中心部が屋内退避エリアの為に正常な流通が無く物資の不足が深刻と報道されていましたので、坊守と話し合った結果、必要な物資を車に積めるだけ積んで直接現地へ届けに行くことにしました。さらに、震災と津波で亡くなられた数百名の方の為に現地の数名のお坊さんが宗派を超えて火葬場で荼毘のお勤めを無償奉仕なさっている事を見聞して、私たちも何かお手伝いできないかと強く願ったからです。※(4月7日現在)

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/04/01/20110401k0000e040024000c.htmlお名前は×里見師→○星見師です。

お届けするに当っては放射性物質の身体への影響など色々話したのですが、屋内退避エリアの実測値が大きくない事と、かつて現地を二人で旅行した際とても良い思い出を頂いた土地でしたので、ご縁に導かれてまいらせていただきました。

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原町第一小学校の避難所に必要な物資をおたずねして、爪切り・常備薬・調味料(仙台味噌、酢、出汁の素等)・ビール・清酒・調理済食品(餃子、肉まん、ゆで卵-特に喜ばれました、かまぼこ、真空パックのおつまみ類)・
お菓子各種・ガソリン40L等々を満載して出発しました。

飯館
南相馬市までのルートは横浜→首都高→東北道(福島松川スマートIC)→川俣町→飯館村→南相馬市の順で進みました。

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はじめに石神第一小学校の避難所に立ちよりましたが、開設して間もない為、物資の受け入れが困難との事で、直接避難所の皆さんにシュークリーム(好評でした)をお配りしながら色々な話を聞かせていただきました。次に約150人の方が避難されている(4月7日現在)原町第一小学校に向かい、皆さんのお世話をなさっている南相馬市職員の大和田さんに持参した物資をお渡しいたしました。さらに二日に分けて避難所の皆さんお一人お一人とお菓子や食べ物をお渡ししながらゆっくりとお話をさせていただきました。

川窪
川窪牛豚肉店さまよりお預かりした豚肉の味噌漬け。お心を確かにお届けしました!
「皆、肉は食べてなかったから嬉しいです。」と大変喜んでいらっしゃいました。

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お名前は伺えなかったのですが、福島第一原発が出来る前は美しい砂浜に塩田が広がっていた事をお話しくださいました。

ビールが
明るいお人柄の今野さん。見えにくいのですが「ビールが飲みたい!」と書いてあります。坊守が勧めてメッセージを書いて頂きました。避難所の多くの方が「飲まなきゃやってられない。」と、苦しい笑顔の中で仰っていました。避難所での飲酒には様々な問題があるのですが、他の方のご迷惑にならないように節度を守って飲まれるとのことでした。
そこで、有志を募ってビール義援を行いたいと思います。お気持ちのある方は帰楽院までご連絡ください。

岩屋寺
この日は曹洞宗の名刹、岩屋寺さんに泊めていただきました。1500年前から続く大古刹です!!

岩屋寺
住職さんの星見泰寛師(左)。ただひたすら忘己利他の仏道を実践なさっておられる穏やかで素晴らしい和尚様です。

岩屋寺さんと
被災されてから不惜身命で尽力し続けておられる星見師に一献差し上げて坊守と三人で夜更けまで語り明かしました。

被災1
翌朝、星見師に被災現場を案内していただきました。

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カーナビに道路が通行止めにされている様子が示されています。津波被害と放射性物質による封鎖です。

被災4
盛り上がり寸断された道路。橋も多くが壊れたそうです。

福祉施設
この福祉施設では多くの犠牲者が出たとの事です。

被災2

消防

テトラ散乱
津波の力で防波堤の巨大なテトラポットがまるで霰のように散乱していました。

被災3
国道6号線を越えて大きな漁船が流されていました。

頑張れ掲示板
南相馬市原町区南萱浜にある応援メッセージ。

安否掲示
メッセージ板の横にある安否情報伝言板

追悼法要
安否情報伝言板の下には、お供物と香炉代わりの土鍋にお線香があげられていました。すぐとなりにはこの地区の消防団の簡易詰所がありますが、消防団の方々自身も被災し家族を亡くされた中で捜索・復興活動をなさっています。皆さんとお話させて頂く中で、まだお経(ご供養)もあげられていないとお聞きしたので皆さんの同意を頂き、急遽追悼の法要をお勤めさせていただくこととなりました。皆さん大きな声でお念仏もうされ、読経中はすすり泣く声が聞こえてまいりました。私も坊守もこみ上げて来るものを堪えながら二人で一生懸命にお勤めさせていただきました。読経後の法話の中で私自身の不明無力を恥じながらも、故人が最後まで生き抜かれ、輝き抜かれてお旅立ちをされた事、思いを超えたはかりしれない命に願われ、生かされて生きている私たちは迷う事無く直ちに命の世界、極楽浄土へと参らせていただき、強く明るい目覚めと救いの力をいただいてこの世に戻って参り、お一人お一人の胸の鼓動の中から見守り、励まし、ささえて下さっていることをお伝えし、終わったのではない、始まったのだとお聞かせいただいて、ともに生きる命となられた胸の鼓動に確かな手応を感じながら安心して、感謝の内に力強く歩まれる事こそ、仏となった故人が一番喜ばれることです。と、お取次をさせていただきました。

復興いも2
その中のお一人、八津尾さんです。被災現場で物資をお渡しできる方を探していたときに坊守が声をおかけしました。気持ち良くお受けいただき、先の安否情報伝言板まで案内してくださいました。八津尾さんは逃げる途中、津波で奥様を亡くされました。大規模農業を営んでおられたのですが、家も畑も全てを失われました。「涙は流すだけ流したから、もういい。自分の代では駄目でも息子の代、孫の代には荒れ地をもとに戻してみせる!」と精気に溢れた目で力強く語られたのが印象深く残っています。法要後、八津尾さんのお申し出で被災した畑で復興の第一歩としてジャガイモを一緒に植えました。

復興いも
収穫する頃の再会を約束してお別れしました。

梅 烏崎
いたる所に梅と桃の花が咲き、
やがて桜の花を咲かせる春の力強い息吹を感じながら南相馬を後にしました。

思えば昨年の灌仏会に帰楽院は開所いたしました。その一年目と灌仏会の日を南相馬で迎えられた事は私たちにとってとても意義深く、不思議なご縁を感じずにはいられません。厳しいご縁の中にも、開所一年目をここで迎えることができた事を心からよろこばせていただいております。

この度私たちは救援の物資をお届けに参らせていただいたのですが、却って現地の皆さま方より様々に大きなおおきな有難いご縁を頂戴しました。現地の皆様、思いを託してくださった皆さま方には深く感謝しお礼申し上げます。

振りかえり考えますと、全ての出来事が仏さまよりたまわった尊い仏縁としか思えません。身体も心もクタクタになりましたが、苦しみの内にも感謝の念が湧き起り、本当にどう考えてもこの行いを「させていただくことができた」としか思えないのです。このご縁を大切にして、今後とも継続的にご支援させていただきたいと思っております。

ありがとうございました。
                                            合掌    

                                    
15:48 東日本大震災関連 | コメント(3) | トラックバック(0)
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