満中陰法要
彼岸会満座御礼
ご来院くださった皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまで誠に豊かな感謝と追悼の集いとなりました。
当日は、地震の影響で交通網がまだ回復しておらずご不便な状況の中、多くの方にお参りいただきありがとうございました。お参りの皆様と読経しこの度の地震で被災された方々への追悼ならびに彼岸会をお勤めさせただけるご縁をいただいたことに感謝いたします。震災以来、皆さん心に苦しい思いを持って過ごして来られた事をお聞かせいただき、追悼法要で手を合わせる機会をよろこばれやっと安らぎを感じられたとお話くださいました。
当院では通常よりランプを使用しておりますが、電力不足による節電のなか役立ち、暖かい灯で穏やかに皆さんのお顔を照らしだしていました。読経、代表による法話の後、吉野氏によるキルギス音楽コムズならびに口琴の演奏をいただきました。

皆さんと一緒に大きな声でお念仏、追悼法要が勤まりました。

それぞれの思いを念じられ、声をあわせて読経いたしました。

コムズ演奏 被災地に届けとばかりに素晴らしい熱演でした。ラクダの駆けっこや、汽車の転輪の様子など情景や場面の思い浮かぶ奏楽で、キルギス人の他者に対する思いやりとやさしさを軽快・愉快にお伝えいただきました。
吉野さん本当にありがとうございました。

口琴演奏 バネをはじくような余韻の心に響く不思議な音色でした。
法要終了後、吉野氏を囲み近所のインド・ネパール料理 エベレストキッチンのベジタブルカレーをいただき、みなさんで楽器のお話しや、仏教に関するお話など語り合い時間があっという間に過ぎ、終会となりました。

掲示板のことば

なにもかもすべてを失って、呆然立ちつくす沈黙の重さは計り知れません。
しかし、耐え難い苦痛の中にあっても自らの足元は地面に沈み込んでは行きません。
大地をしっかりとふみしめ、私をささえて力強く立っています。
私は小さく、弱く、壊れやすく、はかない存在だけれど…
私を生かす命(みほとけ)は量り知れない時の流れと、限りない輝きそのものです。
永遠の時の流れと無限の輝きが、私の今を生きてくださっています。
胸に手を当ててください。そこにそのままの私を抱きしめて
願い続けてくださる命(みほとけ)の呼び声が響き渡っています。
私はまだ終わっていない。ひとりではない。
胸に脈打つ命(みほとけ)の呼び声とともに、
何度でも何度でも立ち上がり歩んで行けます。
どんなきっかけや方法でもかまいません。
命(みほとけ)の呼び声に応えて参らせていただきましょう。
同じ命(みほとけ)のもとに兄弟であるわたしたちも、いつもあなたとともに歩んでいます。
ビールお届けしました

今回募りましたビール義援金、マダムさま、多摩の百姓さまご賛同いただきありがとうございまいした。
リクエストのあったアサヒスーパードライ350ml缶を1ケース&おつまみセットをお送らせていただきました。4月17日に発送したところ、翌日の18日には受け取られた旨、メールと電話で連絡をいただきました。
今回、現在南相馬市にも配達可能とのことで、ヤマト宅急便にて発送しましたが、実際は、相馬市までしか発送されず、避難所から約30キロも離れた営業所まで車で受け取りに行かれたとの事です。ご足労をお掛けして申し訳ありませんでした。
避難所の方々でビールを飲んでほっと一息リラックスしていただければ幸いです。
▼今野さんよりいただきましたメールです(ご本人の了承をいただき転載させていただきました。)▼
こんばんは!!ビール有難う御座います 相馬市迄受け取りに行って来ました。
沢山のお菓子、綺麗な写真有難う御座います。横浜は、やっぱり 桜 ハヤイネ
こちらはこの頃 肌寒いかなぁ…って感じです。香雲さん夫婦の知人や家族の方
々に伝えてくださいませ冷えたビールがとっても旨かったって。この 恩忘れませ
んよ~

電話でお話しした日、南相馬市役所より被災された市民の方々に1人5万円、お亡くなりになられた方のご家族に35万円の義援金が支払われるとの説明があったとのことでした。
現在は、各地から炊き出し等が来られているそうですが、炊き出しがない時の食事は、私たちが訪れた時からあまり状況は変わらず、朝食は小さな牛乳とパンのみ。一刻も早く食べたいものが食べれる生活が戻ることを願わずにはいられません。
わたしたちにできること3
南相馬市は東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射性物質の拡散により設けられた20km圏の※避難指示と30km圏の※屋内退避の二つの地域に分断されている場所です。市中心部が屋内退避エリアの為に正常な流通が無く物資の不足が深刻と報道されていましたので、坊守と話し合った結果、必要な物資を車に積めるだけ積んで直接現地へ届けに行くことにしました。さらに、震災と津波で亡くなられた数百名の方の為に現地の数名のお坊さんが宗派を超えて火葬場で荼毘のお勤めを無償奉仕なさっている事を見聞して、私たちも何かお手伝いできないかと強く願ったからです。※(4月7日現在)
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/04/01/20110401k0000e040024000c.htmlお名前は×里見師→○星見師です。
お届けするに当っては放射性物質の身体への影響など色々話したのですが、屋内退避エリアの実測値が大きくない事と、かつて現地を二人で旅行した際とても良い思い出を頂いた土地でしたので、ご縁に導かれてまいらせていただきました。

原町第一小学校の避難所に必要な物資をおたずねして、爪切り・常備薬・調味料(仙台味噌、酢、出汁の素等)・ビール・清酒・調理済食品(餃子、肉まん、ゆで卵-特に喜ばれました、かまぼこ、真空パックのおつまみ類)・
お菓子各種・ガソリン40L等々を満載して出発しました。

南相馬市までのルートは横浜→首都高→東北道(福島松川スマートIC)→川俣町→飯館村→南相馬市の順で進みました。

はじめに石神第一小学校の避難所に立ちよりましたが、開設して間もない為、物資の受け入れが困難との事で、直接避難所の皆さんにシュークリーム(好評でした)をお配りしながら色々な話を聞かせていただきました。次に約150人の方が避難されている(4月7日現在)原町第一小学校に向かい、皆さんのお世話をなさっている南相馬市職員の大和田さんに持参した物資をお渡しいたしました。さらに二日に分けて避難所の皆さんお一人お一人とお菓子や食べ物をお渡ししながらゆっくりとお話をさせていただきました。

川窪牛豚肉店さまよりお預かりした豚肉の味噌漬け。お心を確かにお届けしました!
「皆、肉は食べてなかったから嬉しいです。」と大変喜んでいらっしゃいました。

お名前は伺えなかったのですが、福島第一原発が出来る前は美しい砂浜に塩田が広がっていた事をお話しくださいました。

明るいお人柄の今野さん。見えにくいのですが「ビールが飲みたい!」と書いてあります。坊守が勧めてメッセージを書いて頂きました。避難所の多くの方が「飲まなきゃやってられない。」と、苦しい笑顔の中で仰っていました。避難所での飲酒には様々な問題があるのですが、他の方のご迷惑にならないように節度を守って飲まれるとのことでした。
そこで、有志を募ってビール義援を行いたいと思います。お気持ちのある方は帰楽院までご連絡ください。

この日は曹洞宗の名刹、岩屋寺さんに泊めていただきました。1500年前から続く大古刹です!!

住職さんの星見泰寛師(左)。ただひたすら忘己利他の仏道を実践なさっておられる穏やかで素晴らしい和尚様です。

被災されてから不惜身命で尽力し続けておられる星見師に一献差し上げて坊守と三人で夜更けまで語り明かしました。

翌朝、星見師に被災現場を案内していただきました。

カーナビに道路が通行止めにされている様子が示されています。津波被害と放射性物質による封鎖です。

盛り上がり寸断された道路。橋も多くが壊れたそうです。

この福祉施設では多くの犠牲者が出たとの事です。



津波の力で防波堤の巨大なテトラポットがまるで霰のように散乱していました。

国道6号線を越えて大きな漁船が流されていました。

南相馬市原町区南萱浜にある応援メッセージ。

メッセージ板の横にある安否情報伝言板

安否情報伝言板の下には、お供物と香炉代わりの土鍋にお線香があげられていました。すぐとなりにはこの地区の消防団の簡易詰所がありますが、消防団の方々自身も被災し家族を亡くされた中で捜索・復興活動をなさっています。皆さんとお話させて頂く中で、まだお経(ご供養)もあげられていないとお聞きしたので皆さんの同意を頂き、急遽追悼の法要をお勤めさせていただくこととなりました。皆さん大きな声でお念仏もうされ、読経中はすすり泣く声が聞こえてまいりました。私も坊守もこみ上げて来るものを堪えながら二人で一生懸命にお勤めさせていただきました。読経後の法話の中で私自身の不明無力を恥じながらも、故人が最後まで生き抜かれ、輝き抜かれてお旅立ちをされた事、思いを超えたはかりしれない命に願われ、生かされて生きている私たちは迷う事無く直ちに命の世界、極楽浄土へと参らせていただき、強く明るい目覚めと救いの力をいただいてこの世に戻って参り、お一人お一人の胸の鼓動の中から見守り、励まし、ささえて下さっていることをお伝えし、終わったのではない、始まったのだとお聞かせいただいて、ともに生きる命となられた胸の鼓動に確かな手応を感じながら安心して、感謝の内に力強く歩まれる事こそ、仏となった故人が一番喜ばれることです。と、お取次をさせていただきました。

その中のお一人、八津尾さんです。被災現場で物資をお渡しできる方を探していたときに坊守が声をおかけしました。気持ち良くお受けいただき、先の安否情報伝言板まで案内してくださいました。八津尾さんは逃げる途中、津波で奥様を亡くされました。大規模農業を営んでおられたのですが、家も畑も全てを失われました。「涙は流すだけ流したから、もういい。自分の代では駄目でも息子の代、孫の代には荒れ地をもとに戻してみせる!」と精気に溢れた目で力強く語られたのが印象深く残っています。法要後、八津尾さんのお申し出で被災した畑で復興の第一歩としてジャガイモを一緒に植えました。

収穫する頃の再会を約束してお別れしました。

いたる所に梅と桃の花が咲き、
やがて桜の花を咲かせる春の力強い息吹を感じながら南相馬を後にしました。
思えば昨年の灌仏会に帰楽院は開所いたしました。その一年目と灌仏会の日を南相馬で迎えられた事は私たちにとってとても意義深く、不思議なご縁を感じずにはいられません。厳しいご縁の中にも、開所一年目をここで迎えることができた事を心からよろこばせていただいております。
この度私たちは救援の物資をお届けに参らせていただいたのですが、却って現地の皆さま方より様々に大きなおおきな有難いご縁を頂戴しました。現地の皆様、思いを託してくださった皆さま方には深く感謝しお礼申し上げます。
振りかえり考えますと、全ての出来事が仏さまよりたまわった尊い仏縁としか思えません。身体も心もクタクタになりましたが、苦しみの内にも感謝の念が湧き起り、本当にどう考えてもこの行いを「させていただくことができた」としか思えないのです。このご縁を大切にして、今後とも継続的にご支援させていただきたいと思っております。
ありがとうございました。
合掌